身の丈ギャンブル!

Gambling to fit my height!

支払いを済ませると・・。

今月の手取りは36万円。

 

決して高給取りとはいいがたいが、最低賃金で働かないといけない状態ではないことに感謝したい。

 

しかし、支払いの重要なものを済ませると、手残りは3000円となった。w

笑ってしまう。ww

 

生活は全てキャッシュレスで済ませれるので、なんとか生活はできる。

しかし、キャッシングの枠もないし、ギャンブルの資金は 0 だ。

 

一つ二つ、支払いを翌月に回せば、10万ぐらいは捻出できるのだが、もうそういうことはしないのだ。

 

いま、仕事が18時に終わってから、夜中の3時ぐらいまで、昔やってた電脳セドリのシステムを再構築している。だいぶ形になってきて、可能な限り自動化するよう改良している。

 

今はお金がないので時間しか投入できないが、回し始めれば1月目からトントン、回収した資金を投入し続ければ、6か月後には悪くても30万程度の上がりが見込めるようになる。

 

そこまでいけば、最悪、派遣をクビになっても生きていける。

 

ギャンブルさえしなければ、いくらでも時間はあるし、いろんなアイディアも湧いてくる。

 

まずは今年、離れてみる。

半年、そのために一日一日を積み重ねていくのみだ。

「貯める」ことのメリット・デメリット

うちの母親が、私が小さなときからずーっと言っていた

 

「貯金してるか?貯金しなさい。」

 

これが嫌だった。

 

使わないお金を手元に留めて何がいいんだ?

欲しいゲームは買ってもらえず、遊園地ではなく動物園に連れていかれた。

貧乏だな、嫌だな、そう思っていた。

 

母親は「プラス」のビジョンがない。しかし、

お金がないと不安になる、万一があると詰んでしまう。

追い詰められるとまともな選択肢がなくなる。

そういう「マイナス」を避ける、人生のすべとして、私に伝えていたのだと思う。

 

しかし、私も当然若かった。「マイナス」を避けるための手段として、我慢をすることには全く魅力を感じなかった。

 

 

「貯めとくとイイよ、挑戦したいときに挑戦できるから。」 

youtube高橋がなりが何気なく言っていた一言に「はっ」とした。

 

 

私は失敗し続けて、やっと気づけたこと。やっと腑に落ちた。

 

「貯めとく」

 

は「マイナス」を避け、その上「プラス」を生み出す、

最強のソリューションだったのだ。

 

今なら、この行為の凄さが分かる。

「貯める」という行為はあらゆるデメリットを潰し、

とんでもないメリットをもたらす、

人生をうまく回すための根本的な「原則」の一つなのだ。

 

「貯めない」ことのデメリット

・行動の選択肢がなくなる

・想定外の事態が来た場合に詰む

・嫌なことにNOと言えなくなる

・精神的に余裕がなくなる

・負の連鎖に巻き込まれやすくなる

・チャンスの選択肢が少なくなる

・チャンスに対する見極めが甘くなる

・チャンスに飛び込めない

・チャンスの見返りが少なくなる

・負の連鎖に巻き込まれたときに抜け出せない

 

「貯める」ことのメリット

・結果が目に見える

・積み重ねることで確たる自信がつく

・追い込まれず、冷静な判断ができる

・嫌なことにNOと言える

・想定外の事態に対処できる選択肢が増える

・「チャンス」もどき、を冷静に、見抜くことができる

・チャンスの選択肢が増える

・チャンスに大きな見返りを得ることができる

・正の連鎖を作りだし、その中で生きていける

 

「貯める」ことは我慢ではない。

無限の可能性を生み出す「魔法のツール」だ。

 

人生には「落とし穴」がたくさんある。そして同じ数の「ジャンプ台」もあると思う。

「落とし穴」にはまらないために、はまってもすぐ抜け出せるように。

 

飛びたくもない質の悪い「ジャンプ台」をやり過ごし、

本当に心から飛びたい「ジャンプ台」を見つけれるように、

 

 

そして大きく飛躍するために。

 

  

「我慢」でも「守るため」だけでもない、

「攻め」を超えた「飛躍」の手段として。

 

「貯める」という行為を行っていきたいと思う。

今週は・・。

お金がないのでやらないですむ。

 

来週は給料が入るので気を付けないと。

支払いなどを済ませて、残ったお金は全額使えない口座へ振り込む。

 

本田健さんの本、大富豪からの手紙を読み返してみた。

 

「人生のすべてを一瞬で変えることはできない。
 だが、進む方向は、一瞬で変えることができる。」

 

響いた言葉だ。今、ここで舵をきろう。

 

日本の平均年齢は48歳らしい。

 

この年まで嵌り続けてしまったのだから今更・・。という考えがいつもあったが、

平均年齢に届いていないのなら、遅すぎることはないのかもしれない。

 

年々、年を取ることを恥ずかしいと思う気持ちが強くなっていたが、

平均年齢に届いていないのなら、恥じることはないじゃないか。

 

平均年齢に届いていない。

 

この一点をもって、決して遅すぎることはない!そう思うことに決めた。

 

 

もうだめだ・・。

10万円をこえるお金が入ったが、

3日で使い果たした。

 

お金が入ると、全部ギャンブルに入れてしまう。

これはどんどんひどくなっている。

もうとめることができない。

 

狙ったレースのみ、とかそういうのは幻想。

何百回繰り返すのか。もう、さすがにできないことを認める。

 

ギャンブル依存症はコントロール障害と呼ばれている。

まさにその通り、どうやっても、自分でコントロールできないのだ。

 

競馬やボートで勝つ為に必要なことは、わかっている。頭では理解できている。

でも、それをできない。できないのだ。

 

そういうことだ、できないのだ。不可能、mission impossible.

できないことをあきらめた上でどうやって生きていくか。

 

一つだけ、救いがあるとすれば、私には(私が)現代社会におけるチートスキルと思っている、プログラム技術がある。プログラムを作れば形に残るし、ギャンブルを止めたときに有り余る時間も消費できる。

 

何とかこの泥沼ギャンブル地獄を抜け出したい。

 

 

 

 

 

2020年03月08日 阪神11R宝塚記念

このレースはエア馬券です。購入はしません。

ただ、このレース買い方の方向性は見えてるので

それだけ書いておく。

 

関西は昨日から大雨。

宝塚記念は時期的に、雨が降ったら極端に馬場が悪くなる。

ここはまともには買いたくない。

 

パドックを見た。

一番よく見えたのは 

11ラッキーライラック

 

二番目によく見えたのは

14キセキ

 

そして一番買いたいのは

10メイショウテンゲン

 

メイショウテンゲン弥生賞でビックリする好走を見せた。

極端な重馬場巧者なのだ。

力は足りない。ただ、ノーチャンスというほど差があるわけではない。

 

この馬場なら「あっ」と言わせることがあってもいい気がする。

単勝人気16番人気、2万馬券だ。

 

世間の評価と、自分の評価がこれだけずれれば買っていい気がする。

 

もし買うなら、

10の複勝を10000円

 

10-11

10-14

のワイドを5000円ずつ

 

11,14→10→総流し

11,14→総流し→10

10→11,14→総流し

10→総流し→11,14

三連単 120点

 

さあ来い!まさにドリーム馬券だ。

ーーー

うーん。買えなくて正解だったが、嵌ってもいいレースだったな。

こういうレースを10回買って、そのうち1回取れれば

大幅プラス。そういうことなんだろうな。

 

テンゲン出遅れて最後良く伸びたが、コンマ3秒差の5着。

惜しいーーー。

出遅れなければ・・。というレースだった。

 

10-14のワイドも250倍。一撃帯だった。

 

クロノジェネシス、出馬表見た時点では本命だったんだけどな。

重馬場巧者で、ずっと記憶にあったから、買えてた可能性はあった。

 

 

ギャンブルへの考え方(2020/06/28)

少し前からだが、ギャンブルへの考え方が変わってきた。

ギャンブルに対する価値観みたいなものだ。

 

「最高のギャンブル」

 

これって何だろう・・。

 

今の私が思う「最高のギャンブル」とは勝とうが、負けようが、自分が一番買いたい博打をはれたかどうかではないか?と思うのだ。

 

自分の張りたい博打に、自分の納得いく金額が張れたかどうか。

いや、違うな・・。

金額張らないと満足できないなら、それはまだ、純度が低い気がする。

 

張りたい博打を張れるなら、金額は関係ないかもしれない・・。

 

思考レベルでは、張りたい博打を張るための唯一確実は方法は、そんなに張りたくもない博打に張らないこと。これしかないというところまでたどり着いた。

 

ギャンブル依存症の人間には、博打に負けるということは罰にはならない。

むしろご褒美なのだ。

 

ギャンブル依存症の人間への唯一の罰は、博打を張れないこと。これしかない。

 

ギャンブル依存症の人間が世の中で一番楽しいこと。

それは「ギャンブルに勝つこと。」

そして、世の中で二番目に楽しいことは・・。

それは「ギャンブルに負けること。」なのだ。

 

 

そうでなければ、何十年も博打に溺れたりしない。

 

 

買っても負けても、ご褒美。

 

 

だから、依存症になった人間は、純度の低い、糞みたいな博打でバットトリップをし続ける。

 

本物のギャンブル依存症が、目指すべきの目的地は、ギャンブルで勝つことではない気がしてきてるのだ。

 

トコトン純度の高い、最高の一発をキメて、勝っても負けても最高にぶっ飛ぶこと。

 

「最高にぶっ飛べる博打」を打つために、払わないといけない犠牲(糞みたいな博打を我慢すること)は、喜んで払おうと思うのだ。

やっと週末が来た。

やっと週末が来た。

 

いやー。仕事が辛い。w

 

辞めたいけど、今の状況で仕事を辞めたら、めちゃめちゃまずいことになりそうなので頑張るしかない。

 

競馬も手持ちにお金がないのでやめざるを得ない。

さすがに借金を増やしてまではギャンブルをしようとは思えなくなったので、手持ちにお金がなければやめれる。

 

 

今週末は、副業(本せどり)の為の準備に当てたいと思う。