身の丈ギャンブル!

Gambling to fit my height!

ギャンブルへの考え方(2020/06/28)

少し前からだが、ギャンブルへの考え方が変わってきた。

ギャンブルに対する価値観みたいなものだ。

 

「最高のギャンブル」

 

これって何だろう・・。

 

今の私が思う「最高のギャンブル」とは勝とうが、負けようが、自分が一番買いたい博打をはれたかどうかではないか?と思うのだ。

 

自分の張りたい博打に、自分の納得いく金額が張れたかどうか。

いや、違うな・・。

金額張らないと満足できないなら、それはまだ、純度が低い気がする。

 

張りたい博打を張れるなら、金額は関係ないかもしれない・・。

 

思考レベルでは、張りたい博打を張るための唯一確実は方法は、そんなに張りたくもない博打に張らないこと。これしかないというところまでたどり着いた。

 

ギャンブル依存症の人間には、博打に負けるということは罰にはならない。

むしろご褒美なのだ。

 

ギャンブル依存症の人間への唯一の罰は、博打を張れないこと。これしかない。

 

ギャンブル依存症の人間が世の中で一番楽しいこと。

それは「ギャンブルに勝つこと。」

そして、世の中で二番目に楽しいことは・・。

それは「ギャンブルに負けること。」なのだ。

 

 

そうでなければ、何十年も博打に溺れたりしない。

 

 

買っても負けても、ご褒美。

 

 

だから、依存症になった人間は、純度の低い、糞みたいな博打でバットトリップをし続ける。

 

本物のギャンブル依存症が、目指すべきの目的地は、ギャンブルで勝つことではない気がしてきてるのだ。

 

トコトン純度の高い、最高の一発をキメて、勝っても負けても最高にぶっ飛ぶこと。

 

「最高にぶっ飛べる博打」を打つために、払わないといけない犠牲(糞みたいな博打を我慢すること)は、喜んで払おうと思うのだ。