少し前からだが、ギャンブルへの考え方が変わってきた。
ギャンブルに対する価値観みたいなものだ。
「最高のギャンブル」
これって何だろう・・。
今の私が思う「最高のギャンブル」とは勝とうが、負けようが、自分が一番買いたい博打をはれたかどうかではないか?と思うのだ。
自分の張りたい博打に、自分の納得いく金額が張れたかどうか。
いや、違うな・・。
金額張らないと満足できないなら、それはまだ、純度が低い気がする。
張りたい博打を張れるなら、金額は関係ないかもしれない・・。
思考レベルでは、張りたい博打を張るための唯一確実は方法は、そんなに張りたくもない博打に張らないこと。これしかないというところまでたどり着いた。
ギャンブル依存症の人間には、博打に負けるということは罰にはならない。
むしろご褒美なのだ。
ギャンブル依存症の人間への唯一の罰は、博打を張れないこと。これしかない。
ギャンブル依存症の人間が世の中で一番楽しいこと。
それは「ギャンブルに勝つこと。」
そして、世の中で二番目に楽しいことは・・。
それは「ギャンブルに負けること。」なのだ。
そうでなければ、何十年も博打に溺れたりしない。
買っても負けても、ご褒美。
だから、依存症になった人間は、純度の低い、糞みたいな博打でバットトリップをし続ける。
本物のギャンブル依存症が、目指すべきの目的地は、ギャンブルで勝つことではない気がしてきてるのだ。
トコトン純度の高い、最高の一発をキメて、勝っても負けても最高にぶっ飛ぶこと。
「最高にぶっ飛べる博打」を打つために、払わないといけない犠牲(糞みたいな博打を我慢すること)は、喜んで払おうと思うのだ。